2011年3月31日木曜日

卒業生からの投稿紹介

百周年記念誌制作に取り組む記念誌部会では、多数の卒業生に依頼し、当時の思い出の原稿を提供いただいています。
ここでは、記念誌掲載に先行して、これらの原稿の一部をご披露させていただきます。(このブログでは投稿者の実名は控えさせていただきます。記念誌では、ご承認を頂いた方は実名記載する予定です。)

学習・行事の思い出

昭和三十五年入学 O 様

創立百周年迎えられましたことをお慶び申し上げます。
記念誌への投稿のお話を頂き、半世紀振りに当時の綻びた記憶とアルバムを頼りに回想することとなりました。

以下に、入学から卒業までの思い出深い出来事を思うがままに羅列させていただきました。

私が入学したのは、昭和35年で担任は I 先生、松・竹組の2クラス約90名だったと記憶している。
入学して最初の試練は一年生の「学芸会」で訪れた。「学芸会」は衣装作りなど父兄一丸となった手作りの学校行事であった。演目は「笠地蔵」?で私の役は「地蔵役」。母親に準備してもらったシーツをまとい動きなし、もちろんセリフもなし。「こんな無口な時代があったんだぞ」と妻に写真を見せるも信じて貰えず残念!

早くも第二の試練は翌年訪れた算数の授業「九九」である。学校から帰ると自宅前にある花山寺さん境内等でよく遊んでいた、勉強した記憶があまりない。初午祭(二月)の頃に8の段で苦戦していた頃を思い出す。勉強について寛大だった親に感謝?

第三の試練は六年生で訪れた。唯一音楽が苦手であった私に「鼓笛隊」で大太鼓が任される事となった。練習が嫌で放課後講堂で遊んでいると校内放送で呼出されたことも。にも関わらず運動会・氏郷まつり等での行進が出来た。根気よく指導して頂いた高波瀬先生に感謝!

楽しい思い出も一杯、唯一の楽しみが学校給食、調理室が確か音楽教室の前にあり、S さん達の作る味は格別。「脱脂粉乳」最後の世代か!

その他、遠足・巡回映画鑑賞(特に忠犬ハチ公)・放送部活動などが思い出される。
私達が生まれた年(昭和28年)にテレビ放送が始まり、小学校入学の時(昭和35年)にはカラー放送開始、そして第三小の創立百周年(平成23年)には「地デジ完全移行」へと大きく変わります。
今後も第三小に永遠の進化発展を!

0 件のコメント:

コメントを投稿