2011年4月25日月曜日

卒業生からの投稿紹介4

卒業生 Mさんからの東京オリンピックの思い出に関する投稿を紹介させていただきます。

「東京オリンピックの思い出」
この度、創立百周年記念誌発行に伴い「東京オリンピックの思い出」をテーマに原稿執筆の依頼をいただき、私が第三小学校を巣立ったのは、昭和四十年三月当時の私にはオリンピックがどう映っていたのかと、卒業文集を久しぶりに開いてみました。
「柔道でヘーシンクが勝ったのは体力の差だろう」―。文集の「東京オリンピック」と題した十一人の級友と語り合うコーナーで、六年生の私はこう発言しています。この一節を読み、白黒テレビの最前列を陣取って、試合の行方に一喜一憂したことが、走馬灯のようによみがえりました。
アントン・ヘーシンクは無差別級で金メダルをとったオランダの柔道家です。少年の私は、柔道の金メダルは日本がとるものと信じて、テレビに向かって声援を送っていました。が、まさかの敗退。
日本人との体格の違いに悔しさを感じるとともに、世界は広いと憧れのような気持ちを抱いたことも覚えています。
よぉし、僕も―と、友達と一緒になって校庭の鉄棒で、体操競技の着地の決めポーズを何度も真似たことも鮮明に思い出しました。
文集には、東京でのオリンピックを「もう一度ぐらいぼくが生きている間にくればいいんだ」とも記しています。私だけでなく、一緒に応援した友に大きな夢や希望を与えてくれたオリンピック。再び日本で開催されれば、当時の私が抱いた夢を多くの子どもたちに与えてくれるに違いありません。
今後とも第三小学校は地域のシンボルとして、学校と地域の絆を確かめ合いながら新たな百年に向けた礎を築いていただきたいと願っています。

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